【「プロフェッショナル」と 「アマチュア」のちがい】

 

みなさん、いきなり質問です。
「プロフェッショナル」と「アマチュア」の違いって
なんだと思いますでしょうか?

 


上記と違った場面が多いですし様々な捉え方があるので、
これが正解と言い切れるモノではないかと思いますが、
私なりに学び、考えてみました。


微力ながら皆さんの
気づき、チカラになれたのであれば、うれしい限りです(^^♪
逆に、それは違うんじゃない?って方いらっしゃるはずなので
その際には教えて下さいね!




「プロフェッショナル」と「アマチュア」の違いに関して
ずばり、私はこう思いました。

それは、プロフェッショナルと呼ばれる方々は、
「管理」をしていて
アマチュアの方は、「予測」をしているのではないかと思いました。





私なりに、ひとつひとつ考えてみます。
まず、「予想」からいきます。


「予想」って聞いて何を想像しますでしょうか?
私であれば、競馬はしませんが競馬の予想が一番に浮かびました。(笑)
皆さんはどうでしょうか?


漢字の意味で言うと「予」って
あらかじめ、前もって、かねて等の意味合いがあるそうです。


「想」については
物事の形やありさまを心の中に思いさだめる。おもいやる。おもいはかる。 
等の意味合いがあるそうです。

つまり、その時点では存在していない未来に対して
前もって、ココロの中で思いさだめる。って解釈しています。


漢字の意味道理っていえば、そのとうりです。
すみません。

私を含め、アマチュアの多くの方は、
まだ存在していない未来に関して予測をしています。
もちろん、予測をすること
自体がいけないってコトを言いたいわけではありません。



しかし、多くのプロフェッショナルの方々は予測はすれども、
ただただ情報を管理し、
あくまで確率に基づいて意思決定していると思いませんか?


わかりずらいと思いますので、具体例をあげてみますと
例えば、胸にナイフが突き刺さった人が
集治療室に運びこまれてきたと仮定します。


正直、命に関わりそうなモノです。



そこで、家族がいたのであれば、
心配している家族が医者に聞きたいのは
主に「助かるのか?」にフォーカスした質問が多いはずです。


つまり、ここでは家族は医者に対して「予測」を求めているはずです。



しかし、予測を求められた医者は予測は基本しません。
医者がその場ですることは、目の前の問題に対して解決することです。



まず、ナイフが刺さっていたのであれば、出血を抑えるコトをし
患者の痛みを和らげるために鎮痛剤を与えて、輸血をおこないます。


そのあと、ナイフを除去にしてから傷口の縫合をしてから、
感染症の予防の為に経過観察をしながら処置を行い
必要な処置をしていくはずです。


この場合において、医者は「予測」を求められていますが
まず目の前の事態に対して、対処「管理」をしているはずです。



もちろん、患者の家族に対して説明責任を果たしていない
インフォームドコンセントができていないのではないか?
って思われる方もいらっしゃると思います。



この場合、最優先事項は患者の命を守るコトであり
その為に、目の前の事例に対して専門知識・技術を有した
医者や看護師の方々が
その場面場面で情報を「管理」し処置をすることのはずです。

もちろん、適切なインフォームドコンセントは行うべきだと思います。

アマチュアの
「予測」に対して、専門の知識・技術を要した人
つまりプロフェッショナルが
目の前の情報を
「管理」して処置を行うコト。


これが、私の考える
アマチュアの「予測」と
プロフェッショナルの「管理」だと思いました。





あくまで、私が想うモノを一例で書き綴ってみただけなので
皆さんが思うモノと違いがあったと思いますが、
いかがでしょうか?

違いがあるってコトは、素晴らしいと思います。


ここからは、
アマチュアとプロフェッショナルの違いとは少し違ってきますが
ある意味、プロもアマチュアも超えた次元のコトになります。



週刊誌や予想雑誌などは、
この予測をネタに雑誌の販売部数を伸ばしたり
ネットなどでも同じように予測を元に
アクセス数を増やしたりしているので
一概に、悪いと言いたいわけではありません。


ただ、「予測」ってまだ存在しない未来に対してするものですよね?


未知のモノや不足の事態に対しては、
基本アマチュアもプロフェッショナルも関係ありません。



そのトキに、まだ存在していない未来に対して
どんな人間でも、持ち合わせる感情である
「恐怖」を管理していけるかが大事ではないかと思いました。



その誰しも持っている感情の「恐怖」や「欲」を管理していけることで
どんなプロもアマチュアも関係なく
「予測」を超えていけるのではないかと思いました。
また、リスクマネジメントも大事だと思います。

でも、専門技術や条件を有していても、
あくまで未来は確率論でしか語れないってコトになります。



最終的に確率論に落ち着くとしても、
「思考」から始まり時間をかけて思考した結果「意志」になり
その「意志」があってのモノだと思います。

目に見えない「意志」を、目に見える現実世界に反映させる為に行動があると思います。
そして、その人間の意志があり行動を続けるからこそ
確立論的には、圧倒的に低い確立である
「奇跡」と呼ばれるモノも存在するのではないかと思いました。



無理やりですが、
最終的にはすべてが「自分次第」で「在り方」なんじゃないかな?
って感じています<(_ _)>












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